いよいよ明日から、ずっと待ち望んでいたNYロケだ。2年ぶりのNY。
しかし4ヶ月も前から計画して、これほど楽しみにしていたのに、荷物の用意がほとんどできていない。
写真を撮ることばかり考えていたので、機材の準備に気をとられてしまっていたようだ。
今回は1ヶ月と長い滞在になるのだから、 衣類や身の回りのものも入念に準備しなければ。
ロケをこの時期に選んだのは、暑くなく寒くなく、いちばん過ごしやすいだろうと考えたからだが、
実際にどの程度の服装が必要になるのかを考えるのはなかなか難しい。
結局「備えあれば憂い無し」 という言葉に従って用意をすることにした。
衣類意外にもインスタントの味噌汁や、カメラバッグに入りきらない三脚なども一緒に入れたので、
大型のスーツケースはほとんど満杯になってしまった。
さて、いつものことだが、旅行出発の前日は気分が重い。
どんなに楽しみにしていた旅行でも、前日だけはなぜか憂鬱になる。
憂鬱の原因が何なのか、いつも考えてみるのだがよくはわからない。
これはもしかすると自分の住みなれた「巣」を離れる時の
動物としての本能的な不安感なのかもしれない、などと勝手なことを考えてみる。
●10月18日(日本時間) 出発●
飛行機は芸術的だ、といつも思う。轟音とともに急角度で上昇するボーイング747機は、
人類がとれほどクリエイティブな存在であるかを象徴するものではないか・・・
などど感動するのは最初のほんの数分だけで、あとはひたすら耐える時間の始まりだ。
これほどまでにNYが好きなのに、私がそう頻繁に行くことがない最大の理由は、
この狭い機内で12時間もの間色々なことに耐えなければならないからだ。
空腹に耐える、喉の渇きに耐える、トイレも混むのでなるべく行かずに耐える、
そして時には、恐怖にも耐えなければならない・・今回がそれだ。
最初の食事がやっと配られ、料理が食べ易いように
狭いテーブルの上で四苦八苦しながら適切な配置に並べ替え、
やっとのことで食べ始めた頃、ベルト着用のサインが点灯。 乱気流だ。
アナウンスが終わらないうちに機はガタガタと縦横に揺れだす。
揺れは次第に強くなり、テーブルの上のカップが床に落ち、周囲からは時々、悲鳴も聞こえる。
せっかくの食事を乱気流なんかに邪魔されてたまるか。
ここは悠々と食事をつづけて、度胸の据わったところを周囲に見せつけなければならない。
激しい揺れに耐えながら、意地だけで食事を続け、やっとの思いで食べ終える。
食事を終える頃には機は乱気流を抜けたらしく、揺れはすっかりおさまっていた。
食後の「トイレ・ラッシュ」がひと段落ついた頃、席を立つ。
後部付近の窓から覗いて見ると、外はすっかり暗くなっている。
はるか下にどこかの街の明かりがキラキラと、星のように光って見えた。
●10月18日(NY時間) 到着●
普段はたばこがかかせない私だが、不思議なことに飛行機に乗ってしまうと、
たばこを吸いたいという欲求はすっかり消えてしまう。
これは、搭乗中の時間は、絶対に禁煙しなければならないということを潜在意識が認識し、
無駄なイライラをしなくてすむよう、特別に取り計らってくれているからに違いない。
そして不思議なことに、飛行機を降り、入国審査が済んだあたりから、
またまた急激にたばこが吸いたくなることだ。
空港の出口を出たところですかさず、設置されている灰皿の横を確保し、
ポケットからたばこを取り出すが、 ライターがみつからない。
どうやら機内に落としてきてしまったようだ。
空港の売店で自由の女神のイラストの入ったライターを買う。
使い捨てライターが4ドルとは高いが、この際仕方がない。
NYで雨に降られた経験は少ないが、今回の初日は雨が降っている。
ぼんやりしながら空港の出口でたばこを吸っていたら、声をかけられた。
「あの・・・すいません・・」
日本人男性、見たところ20代後半、大きなバックパックを背負っている。
これが最近流行りの「バックパッカー」というやつか。
「あのう・・マンハッタンへは、どう行ったらいいんですか?」
こら、いくら着の身着のままのバックパッカーだって、そのぐらい調べてこなきゃだめじゃないのか?
おまけに英語も片言すらできないというじゃないか。
まあこちらとしてはタクシー代を少しでも負担してもらえることはありがたい。
タクシーに同乗してマンハッタンへ向かう。
夕方だからだろう、マンハッタンに近づくにつれハイウェイの渋滞がひどくなる。
車内で彼の話しを色々聞かせてもらった。
今回は会社の休暇を利用して、NYに住む知人を訪ねて5日間の滞在とのこと。
折角12時間も飛行機に乗ってきても5日じゃあNYは見きれないだろうに。気の毒。
横を見ると、いつのまにかバックパック君はすっかり眠ってしまっている。
いつもならこのあたりから摩天楼のビル群が見え始め、NYへ来たことを実感するところだ。
エンパイヤーステートビルが見えたら彼を起こしてやろうと思っていたが、
今日はあいにくの天気で遠くの景色は何も見えない。残念。
ホテルの前でタクシーを降り、バックパック君に別れを言う。早くチェックインして一息つきたい。
39ST、8AVのMANHATTAN BROADWAY HOTEL。ずいぶんと安直な名前のホテルだ。
インターネットで検索して、いちばん安い部類の、この小さなホテルを予約した。
2週目からはドミトリースタイルのもっと安い宿を予約しーてあるのだが、
到着早々から相部屋はキツいので、最初の週だけはここを予約したのだ。
フロントに1人だけいる黒人の男性は、身なりもきちんとしているし親切そうだ。
インターネットで予約を入れたことを伝えると、彼は端末のキーをたたいてから意外にも、ひどく困った顔をしてつぶやいた。
「ああ、何てこった」
彼の説明を聞いて愕然とした。確かに私は予約を入れていた。
しかしそれは、「1年後」の今日だったのだ。
自分でプリントアウトして持参した、予約確認メールを取り出してよく見ると、
彼の言う通り来年の日付だ。プルダウンメニューの操作ミスだろう。
彼によると、同クラスの部屋はすでに予約がいっぱいで、高い部屋しか空いていないと言う。
仕方がないので、その部屋を用意してもらうことにする。
やれやれ、初日からとんだトラブルだ。ともあれ何とか快適なベッドにありつけたのは有難い。
何せ40時間も眠っていないのだ。
●10月19日 ボヨヨン●
午前4時に目が覚める。窓から外を見ると真っ暗なのでもう少し眠ろうかと思ったが眠れそうにない。
だいいち待ちに待ったNYロケ、眠ってる場合ではないのだ。
三脚とカメラを用意してエレベーターに乗りロビーへ降りる。
静まりかえったロビーのフロントには、昨日チェックインした時とは別の黒人男性が退屈そうに座っている。
カメラを肩にかけ三脚を担いだ私を見て彼が茶化す。
「よう、俺を撮りに来たのか?」
「違うよ」素っ気無く答えて通りへ出る。
昨日は長旅の疲れと寝不足、悪天候、そしてトラブルなどが重なって、
NYへ来た実感を味わうことがあまりできなかったのだが、
こうしてあらためてNYの空気に触れてみると、その実感がひしひしと沸いてくる。
日の出前ということもあり空気は冷たく、吐く息は白く濁る。
そして空気を吸いこむとかすかに匂う、独特の匂い。
チーズと肉とトマトソース、卵、コーヒー、スパイスの入り混じったNYの匂い。アメリカの匂い。
ホテルの周辺で数カット撮影してから、再び三脚を担いで歩き始める。
少し歩くと駅のような建物の前にさしかかる。ポート・オーソリティ・バスターミナル。
ガイドブックなどには「治安が悪いので近寄ってはならない」と書かれているような場所だ。
午前五時前だというのにターミナル周辺には、身なりも目つきもよくない人々が大勢たむろしている。
あまりうろうろすべき場所ではないので早々に立ち去ろうと思ったのだが、
ターミナルの建物のコーナーに、イエローキャブが綺麗に並んでいたので、
周囲の視線を気にしながらも三脚を立てて撮影する。

ターミナルから通りを渡ったところで、三つ並んだ公衆電話を撮影しようと思い三脚を立て、
ファインダーを覗いていると、中東系らしい二人組みの男が近寄ってきた。
「おい、何を撮ってるんだ?」
「電話だよ」
「電話??」
「ああ」
「よし、俺がモデルになってやるよ」
片割れの男が、私の撮ろうとしている電話に近寄ってポーズをしてみせる。
「やめてくれ、あっちへ行け!」
この男は酔っ払っているらしい。もう1人のしらふの方の男が見かねて言う。
「おい、もういいかげんにしろよ、行こうぜ」
そんなやりとりをしていると、次の瞬間、信じられない光景を目の当たりにすることになる。
私の右手、バスターミナルの方から歩いて来た大柄な黒人女性が通り過ぎざまに、
自分の服の前をはだけて、片方のおっぱいをつかみ出し、ボヨヨン、ボヨヨンと揺らして見せたのだ。
何事だ?
彼女はその状態でニヤニヤしながら、私のカメラと酔っ払いの間を悠々とした足取りで通過してから、
立ち止まることもなく服を元に戻すとそのまま歩き去った。
酔っ払いはその後姿に向かって、上機嫌でこう叫んだ。
「オオベイビー!カモーン!!カモーンベイビー!!」
推定体重90キロの、カバのようなオバサンに向かって何がカモンだベイビーだ。
やはりガイドブックに書かれているように、
ポートオーソリティ・バスターミナルには近寄らない方が賢明らしい。

●10月20日 合理社会●
今日はダウンタウン方面を歩いてみようと、SOHOへ向かう。
SOHOの街は洒落たブティックやギャラリーが建ち並ぶエリアだが、
時間が早いからかほとんどの店が閉まっている。
路地に鎖でつながれたままスクラップ化している自転車を見つけ撮影。
ポップ・アート風のファニーな画面構成をねらってみた。

付近をひとしきり歩いたあと、昼食を摂ろうと「ウ●ンディーズ」に入る。
いつものことだが、アメリカのファースト・フードの店員はとても感じが悪い。
日本のファースト・フードの店員の、無理やりつくった笑顔もあまり気持ちのいいものではないが、
なにもここまで邪険な対応をしなくても、と思わされる。
レストランの従業員はみんなとても親切なのに・・・そう思って気がついた。
「チップ」なのだ。
アメリカに来るといつも、煩わしいと感じるチップ制度だが、
じつはこれは非常に合理的なシステムだとわかった。
客に誠意を込めてサービスすれば客はチップをはずみ、
サービスが悪ければチップは手に入れられない場合もある。
必然的に店のサービスは向上し、経営者も安心でき、客も満足する。
そして頑張った従業員は、稼いだチップで家族に何か買ってあげたり、
より良い暮らしができるという、素晴らしいシステムなのだ。
逆に、もしチップを払うのが嫌な客は、邪険な扱いを覚悟で、
ファースト・フード店へ行けばいいのだし、客にサービスをするのが嫌な労働者は、
稼ぎが少ないことを覚悟でファースト・フード店で働けば良い、ということになる。
まさに合理社会。筋がきちんと通っている。
●10月21日 正統派ハンバーガー●
マンハッタンの南端からスタッテン島を往復する、「スタッテン島フェリー」は、
映画「ワーキング・ウーマン」で主人公が通勤に使っていたし、
マイケル・ダグラスの「ダイヤルM」では、殺人計画の相談の場として登場した、
ニューヨークではお馴染の交通機間だ。料金は無料。公費で賄っているそうだ。
フェリーが走り出すと後方には、ツイン・タワーが聳え立つお馴染の
これぞNY、といった景色を楽しむことができる。
フェリーの客室には多くの物売りが紛れ込む。商品は電池だったり、
CDケースだったり、色鉛筆だったり、縫いぐるみだったりと多彩だが、
買う人はあまりいないようだ。フェリーに乗ることおよそ30分、
目的地のスタッテン島は地ビールで有名だそうだが、
写真を撮りたいような場所でもないし昼間からビールでもないので、
すぐにまたフェリーに乗って引きかえす。
昨日のハンバーガーがあまりにも美味しくなかったので、
今日はタイムズ・スクエア近辺にある「ハリーズ・ハンバーガー」に挑戦!
ここはいわゆるファースト・フードのハンバーガー・ショップではない。
正統派のハンバーガー・レストランなのだ。
店に入るとラテン系らしい小柄で目のクリクリした、愛想のいいウェイターが出迎えて、
「わお、大きなカメラだねぇ!」と言った。
席につき早速チェダー・チーズのハンバーガーを注文する。
つけ合わせのポテトだって、ハッシュかフライかを選べるし、
コーラを注文するときも、ペプシかコークかをちゃんと聞かれる本格派の店だ。
プレートにつけ合わせの野菜やフレンチフライと一緒に乗って出されたハンバーガーは、
分厚いハンバーグと香りのいいチーズ、よく焼けたバンズがよくマッチしてとても美味しい。
これで8ドルなのだから、店は儲かっているのかと心配してしまう。
NYはこれだから楽しくてやめられない。
●10月22日 じつはグルメな街●

グランド・セントラル駅の前で、変わった置き方の変わった自転車を見つけて撮影したあと
お腹がすいたので、駅の近くに見つけたデリに入ることにする。
NYのデリカテッセンは日本人からは「マズい」と不評で、私も同感だったのだが、
今日、この「スマイラーズ・デリ」という店で食事をしてから考えが変わった。
揚げたてのフライド・チキンやホクホクのマッシュ・ポテト、ビーフ・シチュー、パスタ、
驚いたことに白いご飯と、スープのコーナーには味噌汁まである。
好きなものをよりどりみどり、どれにしようかと悩みながら、
パックに好きなだけ取っていく楽しみも、デリならではのものである。
そして私は、NYにだって美味しいデリもあるのだということをこの店に教えられた。

じつは私がNYへ来て、写真を撮ること以外の楽しみといえば食事なのだ。
NYにはあらゆる国の人々が住みついているからだろう、
レストランも多種・多様。そしてそれぞれのスタイルのレストランが、
その国の人の手による、本格的な料理を売りにしているため、
店さえ間違えなければ、本当に美味しい料理にあるつけるのだ。しかも値段は安い。
そして今日の夕食はリトル・コリアの「WON JO」で焼肉。
ここは前回NYに来た時に食事をして、安くておいしかったため、今回も是非来たいと思っていた店だ。
焼肉を注文すると、店員が真っ赤に焼けた炭を、テーブルの網の下に入れてくれて、
テーブルには所狭しと、キムチやカクテキ、サラダ、ごはん、スープなどが並べられて
それだけてとても贅沢な気分にさせてくれる。ごはんは勿論おかわり自由。
食べ終わる頃には動けないほど満腹になってしまった。
一体NYに何をしに来ているのか??・・写真を撮らねば。。

重い身体に鞭打って歩き、夜のラジオ・シティーを何とか撮影。
●10月23日 で?●
私に音楽の素晴らしさを知らせてくれたのは、小学生の頃に出会った「Let it be」だった。
ジョン・レノンが愛した街としても、また、彼が凶弾に倒れた街としても有名なNY。
ここNYには、ジョン・レノン追悼の場所、「Strawberry Fields」がある。
彼の最後の住居であり、銃撃の現場ともなってしまった「ダコタ・アパート」から、
通りを渡り、セントラル・パークを少し入ったところにその場所はある。
「IMAGINE」と書かれた円形のモザイクの周囲はいつでも
花や、ジョンのCD、蝋燭などが飾られ、
彼の音楽が人々からどれほど愛されていたのかを物語る。
ジョン・レノンに敬意を込めて、それをフィルムに収める。

さて、さっきから変な歌が聞こえているので、その方向へ目をやると、
付近に集まる人々の中に、ヒッピー風の身なりをした5人ほどの男女がいて、
ギターを弾きながら大声で歌っている。
「We are from Sanfransisco〜♪」
この歌詞がくり返しくり返し、しつこいほど出てくる。
何なんだこの変な歌は?即興の歌らしいが、歌詞もメロディも稚屈の極みで
まるで昔流行った
「あーあーああーあやんなっちゃった あーあーああっあおーどろーいたっ♪」
という歌を連想させる。
驚いたことに、そのグループのリーダー風の男はどう見ても日本人だ。
どんちゃん騒ぎなら、他へ行ってやってもらいたい。
呆気にとられてる私のところへ、
そのグループのメンバーらしい白人の若い女性がつかつかと歩み寄り、
さも得意げに、こう言った。
「私達、シスコから来たのよ!」
はいはい、それはもう、歌のほうで何十回も聞きましたよ。
「あ、そう」(Verry good)
私は素っ気なくそう応えて、その場を後にした。
●10月24日 人生は一度●
メトロポリタン美術館の前には、多くの画家や、画家を装った露店商が店を開いている。
そのなかで、歩いていた私の目をひときわ引き、思わず足を止めさせた店があった。
大小さまざまなキャンバスに描かれた、水彩らしい静物画はとても優しく印象的で、
異国の街を歩き疲れた私の心を、ほっと和ませる力を持っていた。
<すべてオリジナルペイント。印刷ではありません>
といった内容の書かれたプレートの横に、ちょこんと座って客を待つ店主は
年齢は70代だろうか、白人の老婆で、しわくちゃの顔に、
大きな黒いサングラスをかけていた。
私はその店から少し離れたところにある、路上のゴミ箱の横に立ち、
彼女の絵を眺めなだらたばこを一服することにした。
しばらくすると彼女は、路上に落ちているゴミのところへ歩み寄って、
どっこいしょ、とそれを拾うと、私の方へ歩いてきた。
そして私の横のゴミ箱にそれをポイっと放りこんでから、私を見上げてこう言った。
「タバコは身体によくないわよ」
「ええ、知ってます」
私は少々面食らいながら、そう応えた。
「ならなぜ吸うの?」
「さあ・・・わかりません」
「わからない?・・・私達人間には、考えるための頭があるじゃないの?」
「そうですね・・・・」
彼女は私が困惑していることに気づいて話題を変えた。
「あなた、写真を撮るのね?何を撮っているの?」
「NYの街を撮っているんです」
「そう?素敵ね、じゃあ、良い1日を」
店のほうへ戻っていこうとする彼女の背中に、私は一言、
「素敵な絵ですね」
と声をかけた。すると彼女は立ち止まって振り向き微笑んで
「ありがとう」
と言ってから、くるりと向きを変えてこちらに戻ってきた。
そしてまた、私を見上げてこう言った。
「あなたにひとつだけ、言っておくわ。人生は一度だけなのよ。
いい?たった一度だけなの。大切にしなさい」
彼女はこの街で、どれほどの時間を過ごしてきたのだろう。
その人生がどんなものだったのか知る術もないが、
あのサングラス越しの、愛に満ちた優雅な微笑には、
彼女がその人生で得たもののすべてが、
きらきらとした「上澄み」として映っているように思えた。
●10月25日 義弟参上●
今日は義弟(妹の夫)がNYに到着する日だ。私の家族はみんなNYが大好きなのだが、
彼だけはまだNYを訪れたことがなかったので、
彼も私の滞在中に休みを取り、念願のNY観光をすることになったのだ。
彼は英語が片言も話せないので、私が空港まで迎えに行き、地下鉄Aラインでマンハッタンへ。
電車の中で、家族からの手紙を義弟から受け取る。
義弟の到着とあわせて、今日から私の滞在先も移動になる。
アッパーウエストにある、日本人が経営するドミトリースタイル(相部屋)の安い宿だ。
地下鉄Aラインの103stの駅で下車し、地上へ出ると外はもう薄暗くなっていた。
その宿は、駅から5分ほど歩いた静かな住宅地に立つ、アパートの一戸を利用して運営されていた。
なぜここを選んだのかと言えば、YAHOOで「NYの宿泊施設」と検索したらほんの数件の
検索結果しか出てこず、そのなかではもっとも安い部類で、なおかつ信頼できそうに思えたからなのだが、
いざ実際に、この普通のアパートをそのまま利用した宿泊施設を目の当たりにすると、
快適な滞在ができるのだろうと不安になる。
私達を出迎えたここのスタッフは、Sさんという中年男性、Aさん、Mさんという若い女性で、
三人を見た時の私の第一印象は「なんだかオ●ム信者みたい・・・」というものだ。
今更後悔しても遅いので、宿泊についての注意事項などの説明を受けたあと、
スタッフの人達が夕食のピザを買出しに出かけるというので、私達の分もお願いする。
ピザを食べたあとは、初めてのNYで興奮気味の義弟を連れて
宿の近所の撮影に出かける。この近辺はハーレムに比較的近いこともあり、
あまり治安は良くないようなので油断はできないが、今夜は平和な夜のようだ。

柵につながれた自転車が、オレンジ色の街頭に照らされ印象的だった。
●10月26日 水溜り●
義弟は私と違い大の買い物好きだ。
ナイキタウン、マンハッタンモールをはじめ、めぼしいショップがあればくまなく見て回る。
彼が店で物色する時間を利用し、私は店の近辺を歩き撮影をする。
それにしてもデパート「メイシーズ」の建物に彼が消えてからどれほどの時間が経ったのだろう。
私はこの巨大な建物の周囲を、すでに三週は歩いているはずだ。
彼は迷子になってしまったのではないか?
そんなことを考えながら歩いている時、ふと道端にできている水溜りに気がついた。
雨が振ったのは1週間も前なのに、この周辺は水はけが悪いのだろうか・・・。
意識して周囲を見まわすと、大小の水溜りがあちこちにできていて、
水面にビルや青空が綺麗に映っているではないか。
・・・ここはメイシーズ。すると、エンパイヤー・ステート・ビルの近くだ。
そう思って上を見上げると、頭上にエンパイヤーがそびえ建っているではないか。
しめた!
エンパイヤーが綺麗に映る、形の良い水溜りを探す。
あった!これはいただきだ!
水溜りの淵とビルの線が、画面を格好よく横切るよう、構成に気をつけ撮影する。

夢中になって撮影していると、通りかかった数人の白人のグループのひそひそ話しが聞こえる。
「あの人、何をやってるのかしら??」
それもそうだ。端から見れば、ただの水溜りを夢中で撮っているようにしか見えないはず。
グループの1人が近づいてきて、水溜りを覗きこむ。
「ああ!エンパイヤーだ!エンパイヤーが映ってるんだよ!」
今度は大きな声でそう言いながら、仲間のところへ戻っていった。
にこにこしながら私を見る彼らに向かって、
私が<そうだよ!>という表情をしてみせると、
彼等は「OK!」と応え、歩き去っていった。
●10月27日 小龍包●
「すっげえ!」
今日これまでに何回この言葉を聞かされたことだろう。
義弟にとっては初めてのNY、見るもの全てがエキサイティングなのだ。
彼いわく「テンパっちゃってるから、他に言葉が出てこない」そうだ。
マージャンを全く知らない私にはいまひとつピントこない表現だが、
人は感激すると単純な言葉しか発することができなくなるものなのだ。
さて、ここはチャイナタウンの、とある中華料理店。
この店の小龍包の美味しいことといったら!!
「うちにくるお客さんはみんなこれを食べるのよ」
という、この店の女将のことばも納得できる。
この美味しい小龍包をぜひとも義弟にも食べさせたいと思い、
今日はこの店で昼食を摂ることにしたのだ。
ひとくち噛むとなかから濃厚なスープがジュワーっと口に広がるアツアツの小龍包。
私たちは、食事をしながら、何度も同じ会話を繰り返した。
「こっれはおいしいよ」
「うん、おいしい」
「こっれはおいしいよ」
「うん、おいしいね」
「これはおいしい」
「うん、おいしい」
やはり、人は感激すると単純な言葉しか発することができなくなるものだ。
●10月28日 ブルックリン・ブリッジ●
地下鉄Aラインの「ブルックリン・ブリッジ駅」から地上へ出ると、
そこはもう、マンハッタンとはまるで違う、
どちらかといえば閑散とした町並みが広がっている。

駅の出口から10分ほど、長い下り坂を下りると道はイースト・リバーに突き当たる。
そこには橋を見るための展望デッキや、有名なレストラン「リバー・カフェ」などがある
洒落たデート・スポットなのだが、さらに橋の袂に向かい少し歩くとそこはもう、
廃墟と化したレンガ造りの古い建物が建ち並ぶ倉庫街だ。
人気のない公園の遊歩道を通り、橋がいちばん綺麗に見えるアングルを探す。
ここから見るこの橋と、その背後に広がるマンハッタンの摩天楼は、
何度見ても現実のものとは思えないほど美しい。
三脚を立てフレーミングを決め、リモート・レリーズを用意して日没を待つ。
周囲を見るといつの間にか、同じように写真を撮りに来た人々が集っている。
この橋は、多くの写真家に撮り尽された被写体だ。
今更私が撮ったところでそれほどオリジナリティーのある写真が撮れる可能性は少ない。
それなのにNYへ来るとつい撮りに来てしまう。
この橋にはそんな魔力があるのだ。
ふと思った。
本当は写真など撮らなくてもいいのかもしれない。
ただこの美しい橋の傍に、立ってみたいだけなのかもしれない。

●10月29日 「NO」と言えない日本人??●
「やたらと頷くな」
これは今日までに、私が義弟に対して耳にたこができるほど言い聞かせてきたことだ。
日本人が外国人から誤解されやすいのは、日本人が優柔不断だから、
という理由からではなく、なにを言われても意味もなく首を縦に振ってしまうという、
その習慣的な振舞いに原因がある、と私は考えている。
たとえば、今日の昼食のときも・・・・
マンハッタン・モールの7階にあるフードコードのカレーショップで
チキン・カレーを2皿注文した私に、インド系らしい女性の店員はこう言った。
「お得なセットもあるけど、どう?」
「いや、カレーだけでいいよ」
私がそう答えたのに彼女は、なぜかまたこう言った。
「セットにするの??」
背後に妙な気配を感じ振り向くと、義弟が私の後ろに立って、
彼女の問いかけに対し、こっくりこっくりと頷いているではないか。
今度は私が義弟に聞く。
「セットにするの???」
「え?単品でいいよ」
「じゃあなんで頷くの?」
「わからないけど・・・何か言ってるから」
やれやれ、これが国際的な話し合いの場などではなくて助かった。
●10月30日 コニー・アイランド●
マンハッタンから地下鉄で1時間余り、ブルックリンの最南端、コニー・アイランド。
今日は宿のスタッフの勧めで、ここへ来てみることにしたのだ。
駅に到着するとすぐに、私達はその独特のローカルな雰囲気が気に入ってしまった。
駅構内には何件かの店が並んでいて、休日なのかシャッターは閉じられているものの、
なんとも言えないノスタルジーを醸し出している。

ロシア人の居住区として有名なこの静かな街にはビーチや遊園地があって、
夏場はマンハッタンからレジャーのために来る人々で賑わうそうだが
今はオフ・シーズンなのでビーチにも人影はなく、遊園地も閉鎖されている。
この遊園地は映画にも度々登場したことのある、ひとつのNYのシンボルなのだが、
そこにある老朽化したジェット・コースターは度々、
大きな事故を起こすことがあるそうだ。
ビーチの手前には幅の広くてひたすら長いボードウォークが造られていて、
その海側には座る人のいないベンチがはるか遠方まで一列に並べられている。
見渡す限りの青い海。波の音を聞いたのは、久しぶりのような気がする。

ビルに囲まれ、狭い空しか見ることのできないマンハッタンの雑踏に
少し疲れていた私には、この静かで開放的な場所がとても新鮮に思えた。
そしてこの場所も、NYCの一部であることにあらためて感心した。
空を見上げると、たくさんのカモメたちが、広い空を自由に飛びまわっている。
この空もまた「自由の街NY」の空なのだ。
●10月31日 ハロウィン・パレード●
NYの秋のイベントとして有名なハロウィン・パーレードを一目見ようと、
義弟と二人でここまで出かけてきたのだが、すでに通り沿いには人垣ができてしまい、
パレードの様子はほとんど見ることができない。
よく見える場所を探そうと歩いていると、路地に止められた車のボンネットの上に
何人もの人が乗って、パレードを見物しているではないか。
頑丈なアメリカ車とはいえ、ボンネットはボコボコと音をたてている。
この車の持ち主は不運だ・・・などと思っていたら、
いつの間にか義弟までその車のリアパンパーに乗っているではないか!
「見える見える!」
そう言われれば私も乗らずにはいられない。
バンパーだし・・壊れることはないだろう・・・。
そのうち、機嫌をよくした義弟が、バンパーの上で軽く飛び跳ねて、車を揺らしはじめた。
「ちょっと!!」
白人の若い男性が私達に近づいてきた。
「これは俺の車だ。」
やっばり、怒られる。
「乗るのは構わないが・・・揺らすのはやめてくれないか」
・・なんとも意外な言葉だ。乗るのは構わないのか。
「すみません」
「いいさ。ところで、タバコある?」
義弟と私が慌てて同時にタバコを差し出すと、
彼は義弟のセブンスターを1本取り、私の差し出したライターで火をつけ、
煙をフーっと吐き出してから、
「いいね?絶対に揺らさないように」
そう言うと、再び人ごみのなかへと消えていった。
どうやらこの車は、彼のものではなかったらしい。
文字通り「1本とられた」といったところだが、
こんな出来事も、NYならではの楽しさなのかもしれない。

●11月1日 義弟帰国●
目を覚ますと、義弟はすでに起きていて、
帰国するために荷物をまとめているところだった。
彼は日本から持ってきたものの、
結局食べるチャンスのなかったカップ面を五個ほど私に差出して、
「これ、食べてください」
そういう彼の表情には、まだ帰国したくない気持ちが見てとれる。
タクシーを拾うため、荷物を持ち一緒に通りへ出る。
すかさず白タクらしき車が停車し、「乗れよ」と合図をするがやり過ごす。
ほどなくイエロー・キャブをつかまえ、
スーツケースや山盛りのおみやげを積みこむ。
「JFKの4番ターミナルへ」
私が運転手にそう伝えると、
義弟は私にぺこりと頭を下げ、
「色々とありがとうございました!」
と、妙に他人行儀に、礼儀正しく挨拶をした。
彼にとっては初めて訪れたNY。
1週間の滞在はあまりにも短かったことだろう。
11月を迎えたNYの早朝の空気は冷たく乾いている。
走り去るキャブを見送りながら、
義弟の無事を祈った。
●11月2日 立ち入り禁止●
夜のエンパイヤ−・ステート・ビルを撮ろうと
三脚を担いでミッドタウンを歩いていると
ライトアップされたエンパイヤーが丁度良いアングルで見える場所を見つけた。
通り沿いの角にある小さな公園だ。
芝生の上に三脚を立て、ファインダーを覗いていると
警察官が1人、こちらに向かって歩いて来た。
「芝生に入っちゃ駄目だ。すぐに出なさい。」
しまった、立ち入り禁止の立て札に気づかなかった。
しかし何とかこのアングルから撮影したい。
地面を見回すと、私が今立っている場所から2メートルほどの場所に
一部分だけ四角く舗装された場所がある。
警官がさほど怒っている様子でもなかったので、試しに言ってみた。
「あそこは?」
「ダメダメ!」
駄目か・・・仕方ない、退散だ。
「OK・・・すみません」
三脚を畳もうとしていると、彼が私に尋ねた。
「何を撮ろうとしてたんだ?」
私が答えるまでもなく、彼は三脚に据えられたカメラの先を見て、
「エンパイヤーか・・」
そして一瞬考えてから、
「いいだろう。手早く済ませるように」
そう言うと、すたすたと歩いて行ってしまった。
私は彼の背中に向かって礼を言い、
また再びファインダーを覗いた。
●11月3日 珍客参上●
この宿は、一般的な住宅用のアパートを利用して運営されている。
4LDKほどの間取りのアパートの各部屋には
二段ベッドが二つずつ備えられていて、
それぞれが男性部屋、女性部屋、スタッフ部屋、
という具合に分けられている。
どちらかと言えば神経質なタイプの私は、
こういった宿を利用することはできれば避けたかったのだが、
長期滞在のためには宿泊代を切り詰めねばならず、仕方なかったし、
一昨日までこの男性部屋は、私と義弟、そして温和な紳士の前田さんの3名で利用していたため、
さほどのストレスを感じることもなく、快適な環境と言えた。
さらに義弟も前田さんも出ていってしまったため昨日からは私ひとり。静かなものだ。
しかし・・・静寂は長くは続かなかった。
夕食を済ませてリビングのテレビを見ていると、
大きなスーツケースを持った男性が案内されてきた。
スーツケースの色や服装などがいかにも垢抜けない。
それだけなら私には関係のないことだが、
彼の話し方、歩き方、身のこなしのがさつなこと。
なぜ椅子に腰掛けるだけの動作なのに、こんなに騒々しい音をたてるのか。
話しを聞いてみると、今日からここに4泊するという。
今夜からは、持参した耳栓を使う必要がありそうだ。
●11月 4日 三文の得?●
目覚まし時計のけたたましい音で目を覚ます。
耳栓をして寝たのだが、この音には太刀打ちできなかったようだ。
時計を見ると6時半。
説明するまでもなく、昨日チェックインした彼の目覚まし時計だ。
相部屋の宿で、同室の他人の都合も考えず、早朝に目覚まし時計を鳴らすことが、
人間としてマナーを欠く行為なのかどうなのかを考えてみたが、よくわからない。
結論は、少なくとも私なら、そんなことはしない、ということだ。
彼は昨日と同じように、何をするにもドタバタと騒音をたてながら
ものの15分ほどで身支度を済ませ、どこかへ出かけてしまったようだ。
もう一度眠りたかったのだが、一旦目が覚めてしまうとそう簡単には眠れそうにない。
彼が出かけてしまったことを確認してから、
ベッドのカーテンを開け、朝食をとるためにダイニングルームへ向かう。
用意されたサンドイッチを食べながら、
すでに他界した曾祖母が、しばしば私に言い聞かせた言葉を思い出した。
「早起きは三文の得」
「早起きは三文の得」
そうだな、早起きもたまには、悪くない。
●11月 5日 ニューヨーク・シティ・マラソン●
私の好きな作家の小説に「ニューヨーク・シティ・マラソン」という作品がある。
読んだのはずいぶん昔のことなので、内容はほとんど忘れてしまったのだが、
マラソンにまったく興味のない私がマラソンを見に行こうと思うのは、
あの小説の影響が大きいに違いない。
3万人もの人が参加するこのマラソンは、NYのスタッテン島をスタートし、
マンハッタンに入り、セントラル・パークでゴール・インとなる。
ゴール直前で観戦するほうが面白いと判断した私は、
望遠レンズをセットしたカメラをぶら下げ、
時間を見計らってセントラル・パークへ出かけてみた。
あちこちにひかれた交通規制に悩まされながら
なんとかセントラル・パーク・ウエストに辿り着く。
この時まで、このマラソンをテレビでしか見たことのない私は、
もっと楽しげな雰囲気を想像していたのだが、
ダウンタウン方向から走ってくるランナー達は一様に
青ざめた顔をして必死の形相をしている。
考えてみればここはゴールの手前。
40キロも走ってきたのだから、必死の形相も当然だ。
あまりの辛さに走ることを諦め、歩いてしまったり、立ち止まってしまうランナーには、
「You can do it! You can do it!!」
といった声援が送られるのだが、
当人達からしてみれば、言うほど簡単じゃないぜ、といったところだろう。

観戦している子供がランナーに手を差し伸べても、
これに応える余裕すらなく、みんな素通りしてしまう。
私もカメラを構えてしばらく粘ってみたのだが、
パチンと手を打つ瞬間はとうとう撮影することができなかった。
●11月6日 小旅行●
今日はマンハッタンを離れ、ロング・アイランド沖の島、
ファイヤー・アイランドへ出かけることにした。
宿のスタッフのあきさんが、
「行ってみたら面白いかもよ」
と勧めてくれたリゾート地だ。
34丁目のペン・ステーションの複雑な券売機にてこずりながらも何とか切符を買い、
MTAの長距離列車に乗ること1時間半でBay Shoreに到着。
マンハッタンからさほど離れていないはずなのに、人気もまばらな寂しい場所だ。
駅のすぐそばの踏切の遮断機と青空のコントラストが美しかったので撮影する。

地図を頼りに徒歩でフェリー乗り場を目指す。
Bay Shoreの寂れた商店街を横切り20分ほど歩くとフェリー乗り場に到着。
このフェリー乗り場もまた、ひどく寂れている。
停泊している船も、フェリーというよりはボートという感じだ。
ボートの上で作業をしている男性に訪ねてみる。
「次の船はいつ出発ですか?」
「えーっと・・・時刻表を見てくれる?」
彼の指す方向を見ると、掲示板のようなところに、
数枚の色あせた紙が貼りつけてある。
そのなかの、「オフシーズン」という時刻表を見ると、出発まで1時間以上もある。
周囲にはどう考えても、ゆっくりと時間を潰せるような場所などなさそうな辺鄙な場所だ。
仕方なく、周辺の住宅地を散歩することにした。
住宅のドアに、面白いかたちで差しこむ光を見つけて撮影。

フェリーは広大な入り江を30分ほど走り、目的地のファイヤー・アイランドに到着。
周囲には「シーフードレストラン」とか「ピザ」といった看板を掲げた店舗が数軒あるが、
どの店も閉まっていて人の気配すらない。
ここファイヤーアイランドはいわゆる別荘地で、
夏の間だけ、ここで休暇をを過ごす人々で賑わうそうだ。
別荘地といってもそれほど高級なものではなさそうで、
小さな島に、これまた小さくておもちゃのような別荘が、
車の通る幅もないほどの狭い狭い路地を挟んで軒を連ねている。
別荘の玄関には表札の代わりに、
「Deer heaven」とか
「Hakuna Matata」(ディズニー映画「ライオン・キング」の合言葉・・だと思う)といった、
その別荘のオーナーが思い思いに好きな言葉を書いたらしいプレートが掲げられている。
のんびりと散歩していると、路地の脇から鹿がひょっこりと顔を出した。
なるほど、「Deer heaven」か・・・。
鹿は私を見つけると、何かもらえると思ったのか、
近づいてきて、私が首からかけているカメラの匂いをクンクン、と嗅いだ。
「何もないんだよ・・・ゴメンな〜」
思わず声を出してそう言った。
何もないとわかると鹿はまた、藪の中に消えていった。
歩き疲れたのでフェリー乗り場に戻って帰りのフェリーを待つ。
日はすでに傾いていて、水平線のあたりがうっすらとオレンジ色に染まっている。

フェリーがBay Shoreに着く頃には日はすっかりと暮れていて、
この道をまた、駅まで30分も歩くのかと思うと気が重い。
疲れた足を引きずってやっとの思いで駅まで辿り着く。
さてと・・・次の列車はいつかな・・・。
ん?
に・・・2時間後?!
この薄暗い、ベンチすらない無人駅で2時間も待つ気はしないので、
駅の周辺を歩いて、時間をつぶせる場所を探してみることにした。
しばらく歩くと「ドミノ・ピザ」を発見。
しかしドミノはやはり配達専門。座ってくつろげる場所はなさそうだ。
仕方なく来た道を戻り、駅の近くにあるセブン・イレブンに入る。
サンドイッチとホットコーヒーを買い駅に戻り、
比較的明るい場所を探して立ったままサンドイッチを食べ、コーヒーを飲む。
ホームで列車を待っているのは私と、もう1人、白人の中年男性。
急行列車がけたたましい警笛を鳴らしながら猛スピードで通過して行く。
今回のNYロケに来て初めて、遥か1万キロ彼方の故郷を思う。
●11月7日 Dead End●
ロケも後半にさしかかってくると、新鮮な感覚で被写体と対峙できなくなってくる。
同じ形の信号機、同じ形のアパート、同じ形のイエロー・キャブ・・・
こうしてみるとこの街も他の都市と同じく、パターン化されたものが多いことに気づく。
ロケの中で一度こういった「マンネリ感」を感じてしまうと抜け出すことは容易ではない。
メインレンズを変えてみたり、斬新な構図やアングルを探し出そうとしても、
どこかしっくりいかず、フィルムと時間の浪費に焦りを感じはじめる。
途方に暮れてブロンクスを歩いていると、
線路の高架のシルエットと青空のコントラストに目を引かれる。
今日までのNYロケで出会わなかった新鮮な光景だ。
周囲を歩き、高架のカーブがもっとも美しく画面に収まるアングルを探し、
ポイントとして手前に立てられた黄色い標識を配し画面構成を整えてレリーズする。

標識には、こんな言葉が記されている。
「DEAD END」(行き止まり)
さっきまでの、途方に暮れていた私になら、耳の痛いような言葉だが、
会心のショットを手に入れた直後の私には、
こんな標識ですらユーモラスに思えてしまう。
●11月8日 ストリート・ミュージシャン●
NYのストリート・ミュージシャンはいまひとつ好きになれない。
市がミュージシャンを集めてオーディションを行い、許可を与えるというシステムは
さすがは文化的先進国、と感心せざるを得ないのだが、
問題は肝心のミュージシャン達の気構えなのだ。
今日もタイムズ・スクエアの歩道にドラムセットを広げ、
ドタドタと出鱈目にドラムを叩く男に出くわした。
あまりの下手さに呆気にとられ、思わず足を止める。
こんな出鱈目な演奏でもオーディションに受かるものなのか?
だったら何のためにオーディションをしているのか?
そんなことを考えながら突っ立っていると、
ドラムの男が演奏しながらスティックで私を指し、怒鳴った。
「Pay!!」(金を払え!)
音楽家の両親のもとに生まれ育った私は、
プロの音楽家として、金を稼ぐことの厳しさとプライドを痛いほど知っている。
しかしNYのストリートミュージシャン達は
路上でお粗末な演奏をして通行人から小銭を頂戴する分際でありながら、
このように履き違えた「プロ意識」を振りかざす者は少なくなく、
こういったミュージシャンに出会う度に、とても残念な気持ちになる。
余談になるが私の父は戦後の日本のジャズ史に名を刻むドラマーである。
頑固で不器用だが、40年以上の長きにわたり、
真摯な姿勢で音楽に取り組み続けてきた父に、あらためて敬意を表す。
●11月9日 愛を込めて●
ワールド・トレード・センターを撮るにはやはり、
ハドソン川を渡って、ジョージア州の側からがいいに違いない。
そう思って地図を見ると、ダウンタウンのウエストサイドがらフェリーが出ているらしい。
フェリーはいくつかの行き先があるようだ。
私は「コルゲートセンター行き」という切符を買って乗船する。
なぜコルゲートセンター行きを選んだかというと、
ハドソン川の向こう岸に「COLGATE」という大きな看板が見えたからで、
そこを目指す船なら、突拍子もない場所に連れていかれる心配はないと思ったからだ。
「COLGATE」の看板のロゴは、歯磨きの「コルゲート」と同じデザインだから、
きっとあの歯磨きを作っている会社だろう。
船はものの5分でジョージア州側に到着。
周囲は川沿いがボードウォークになっていて、
すぐそこには地下鉄の駅があるではないか。
案内板を見てみると、ここからたった一駅で、川向こうのWTC駅に通じているようだ。
わざわざフェリーに乗る必要はなかったのだ。
あらためて対岸のツイン・タワーを眺めてみる。
アングルは申し分ない。ふたつのビルが綺麗に並んで見える。
ボードウォークを歩きながら、WTCとカモメを交えたショットを多数撮影する。
川縁の手擦りに、誰かが刻んだハートマークがあった。
このハートマーク越しにツイン・タワーを見てみると、
ふたつのビルが、寄り添う恋人達にも見えてくる。

この一枚を、世界中の 「愛し合う二人」 に捧ぐ。
●11月10日 自由の女神●
一度ぐらい、自由の女神を間近で見てみようと思い、
マンハッタンの南端、バッテリーパークから周遊フェリーに乗ってリバティー島へ。
自由の女神の内部に入るには、セキュリティー・チェックの行列に並ばなければならず面倒だし、
中に入ったところで撮るようなものもないと思い、
自由の女神の周囲を歩いてみることにした。
小さな島なので、少し歩くとすぐに自由の女神の後ろ側に到達。
自由の女神の後姿をじっくりと(それも近くで)見たのは初めてだが、
なんとも女性らしくない体型の後姿といい、あの妙な髪形といい、
お世辞にもフォトジェニックとは言い難い。
再びフェリーに乗り、隣のエリス島へ。
エリス島はその昔、アメリカへの移民を受けつける、言わば窓口として使われていた島だ。
今ではすっかりと観光地化されていて、
博物館、それに加えてギフトショップやフードコートもつくられている。
フードコートでピザとコーラを注文して休憩をとる。
休憩を終え、公園を歩く。
どんよりと曇った空に、葉の枯れた木のシルエットが浮かび美しい。
形の良い木が画面を囲み、なおかつ中央のハイライト部に
自由の女神を配置できるアングルを慎重に探してレリーズする。

女神は、遠くから眺めたほうが美しい。
●11月11日 湯気●
冬のNYといえばマンホールから立ち上る湯気とイエローキャブ。
そう思って、小雨の降るミッドタウンを歩いているのだが
いざ探してみると、「理想的な湯気」にはなかなか出会えない。
これぞNY!といった感じの、もくもくと派手に湯気を吐き出しているマンホールは少ないし、
あったとしても、それが写真として絵になる場所にあるとは限らず、
イエローキャブとからめて撮ろうとすればなおさら難しい。
タイムズ・スクエアの周辺を歩き回ること1時間。
ほどよい湯気を吐き出すマンホールをついに発見。
背景に「NYらしい」格好の良い看板を配し、
赤信号で停止する車を重ねられるアングルを探す。
フォーカスをマンホールに置き、構図を整え、キャブが停止するのを待つ。
NYにおいて、イエロー・キャブを待つことは、さほど忍耐を必要とすることではない。
3回目ほどの赤信号で、停止線にキャブが停まる。
信号が青になりキャブが走り去ってしまわないうちに、
アングルと構図を変えながら数ショットをレリーズ。
濡れて黒く光る路面が幸いして、白い湯気の映えるショットとなった。
これぞNY!

・・・と思うんだけど、どう??
●11月12日 大スター●
NYに数日滞在して、あちこち歩き回れば、
映画やテレビの撮影現場に出遭うことは少なくない。
ハリウッドの映画やアメリカのテレビドラマを見れば分かる通り、
NYを舞台にした作品は非常に多いのだ。
今日もタイムズ・スクエアを通りかかると、
セブンス・アヴェニューとブロード・ウェイの車道は通行止めになっていて、
これらのふたつの道路に挟まれたかたちになっている歩道部分には
大掛かりな撮影機材がセッティングされている。
機材からすると、テレビ・ドラマではなく、CFか映画の撮影のようだ。
すると、大勢のスタッフの向う側に、あの大スターが見え隠れしているではないか!
トム・クルーズ!
私はどちらかというと、トム・クルーズはあまり好きな俳優ではないのだが、
こんな世界的な大スターをこうして間近に見ることが出来るというのはやはり嬉しい。
それにハリウッド映画の撮影現場に立ち会えるなんて!!
ラフなYシャツの上に、茶色のジャケットを羽織ったトムは、ご機嫌らしく、
時々、歩道に集ったギャラリーに向かって、満面の笑顔で大きく手を振る。
ギャラリーから黄色い歓声が飛ぶ。
そうこうするうち、「アクション!」の声とともに撮影がスタート。
トムは30メートルほどの距離を走って、設置された台の上に飛び乗り、
両手を広げて上を見ながらグルグルと回転。
その様子を台の下からカメラが狙う・・・・そしてカットアウト。
ほんの10秒ほどのカットでセリフもない。見たところの印象では
「ココハドコ?ワタシハダアレ?」
そんな状況を演じているように見える。
「これ、何の騒ぎ?」
通りがかりの白人の男性が私に尋ねる。
「あそこにトム・クルーズがいるんだよ」
何故か私まで得意気に答える。
「トム・クルーズ?!・・・・オーマイガッド!!!」
彼は慌てて、大声を出しながら、
知らずに先に歩いて行ってしまった、奥さんらしき女性を呼びとめる。
誰にとってもトム・クルーズとの遭遇は一大事らしい。
●11月13日 現地で会う●
夜になってS氏から電話が入る。
S氏は以前私がカットモデルを撮影した美容院の経営者だ。
私のロケ期間中にS氏もNYを訪れるとのことで、
私の滞在先を知りたがるS氏に、ここの電話番号を知らせておいたのだ。
S氏は今日の夕方NYに到着したとのことで、
明日は一緒に美術館巡りなどをしたいと言う。
とりあえずはOKの返事をして電話を切ったものの、
このように「現地で会いましょう」という話しは、実現することがあまりない。
たとえば、今回のロケでは、S氏を除いて3人と、
それぞれ「現地で会う」約束をしたのだが、
今のところ会うことができたのは身内である義弟1人だけなのだ。
あとの二人、Y君とT氏はすれ違いもしなかった。
ひどかったのは同時期にロケを行ったフォトグラファーのT氏。
私が日本を発つ数日前に電話をしてきて、
「一緒に撮影しましょう」
と、話しを持ちかけて来たのはいいが、
「いつどこで落合う?」
という私の問いに対して、彼の答えはこうだった。
「東の空がスカッと晴れた日の夕方、リバティ・ステート・パークで待ち合わせ」
・・・・・会えるワケないよ!
●11月14日 最終日●
約束した通り、朝の9時にS氏の滞在先のホテルに電話を入れるが、
いくら呼んでも彼は出ない。
念の為、彼のホテルへ行ってみることにした。
教えられた番号の部屋に行ってみると、
部屋はドアが開けたままになっていて、すでにベッドメイキングの最中だ。
フロントに聞いてみると、彼は9時前に出かけたという。
やっぱり。
それにしても昨日の約束すら守れないとは呆れた人だ。
NYロケの最終日を無駄にするわけにはいかないので、いつものように街を歩くことにする。
しばらく歩いていると、大粒の雨が降り始めた。
駅の入り口近くで、露天商が傘を売っているので買うことにする。
突然の雨で露天商は大繁盛、人だかりができている。
5ドルの値札のついた折り畳み傘を手に取って見ていると、
駅のほうから走ってきた女性が慌てた様子で私に向かって、
「それ、いくら?」
と聞くので、「5ドル」と答える。
彼女は私を露天商と勘違いしているらしい。
しかし、私が本物の露天商に代金を払うのを見て間違いに気づいたらしく、
彼女は少し恥ずかしそうに
「ごめんなさい」
と謝った。
「いいんですよ」
傘をさし、ウエストサイド方面へ向けて歩く。
思えば、これだけまとまった雨が降るのは到着した日以来のことだ。
ミッド・タウンからそのまま西に歩きハドソン川へ出ると、
遠くの川岸に巨大な戦艦が停泊しているのが見える。
興味をそそられて近くまで歩いてみると、
それは現役を引退した戦艦を利用した、軍事関係の博物館であることがわかった。
それにしても、今までこれの存在に気がつかなかったとは意外だ。
折角だから中へ入って一通り見学する。
外へ出ると、雨はほぼ止んでいる。
傘をささずに、マンハッタンの中心部に向かって歩く。
日没直後の照り返しで青く染まった空と、
ネオンに照らされたレンガ造りの壁面が美しい。
今回のロケで最後になるシャッターを切った。

●11月15日 帰国の途へ●
轟音とともに急角度で上昇するボーイング747型機は、
人類がどれほどクリエイティブな存在であるかを象徴するものではないだろうか。
そして、この窓から見下ろすNYの街。
この街もまた、人類のもつ創造性や可能性といったものを象徴する
ひとつの巨大な集合体と言ってもいいのではないかと思う。
今回のロケで撮影したフィルム50数本。ショット数にしておよそ2千。
そのひとコマひとコマは、私がこの素晴らしい街と交わした対話の記録であると同時に、
その写真を見てくれる人へのメッセージでもある。
どこの誰が、何を感じてくれるだろう。
それを考えると、胸が躍る。
<おわり>
|
●後記● このロケ日記は、2000年の10月から11月にかけて行ったロケの日記をもとに書いたものです。1ヶ月にも及ぶ私の気ままなロケを快く応援してくれた方々、また、旅先で親切にしてくださった方々に感謝の意を表します。また、このロケから1年もたたないうちに、NYはあの恐ろしいテロの被害に遭うことになりました。被害に遭われた方々にはあらためて、心より哀悼の意を表します。
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●追記● 11/12にあるトム・クルーズの撮影は後に、映画「バニラ・スカイ」の冒頭のシーンの撮影だったことが判明しました。 |